「髻中宝珠の譬え(頂珠の譬え)」(安楽行品第十四) 創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge 創価仏壇
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2009年 08月 31日
肌寒くて、投票に向かう人の多くは、長袖シャツを着ていた。道端のススキは穂を広げ、季節の変わり目を伝えていた。わが家の投票所は中学校だ。生徒玄関には、いじめ撲滅の標語と一緒に、手書きのスローガンが張られていた。「We can change」(わたしたちは変われるんだ)
挑戦こそ若者の特権だ、と読めるが、大人の胸にも響く。米国のオバマ大統領が繰り返した「チェンジ」を思い出し、1票に託した人もいただろう。投票箱がある体育館の入り口には、新型インフルエンザ予防に消毒液が置かれていた 有権者は、初詣での参拝客よろしく列をなして手を清めている。「チェンジ」と“浄化の儀式”。偶然とはいえ、あの光景が「政権交代」を暗示していたように思えてならない 世論調査そのままに、総選挙は民主党が圧勝した。「空前」とか「未曾有」と言ってもピンとこない。ここはやはり「歴史的」という言い方しかあるまい。オバマ大統領の誕生も歴史的だが、それは「初の黒人」だったからだ 政権交代は、欧米では日常茶飯事で、政治を新陳代謝していく。第2次大戦後、オバマ大統領登場は民主党への4度目の政権交代劇である。先進国の中で日本は「不思議の国」と見られていた。議会制民主主義のはずなのに、短期の例外こそあるが、自民党政権が半世紀余りも続いていたのだから 国のかじ取り役を、「1票」がこれほど鮮やかに代えるのは、初めての体験だ。投票用紙1枚の重さを反すうし、「チェンジ」の行方を注視したい。 日報抄 新潟日報 2009年8月31日 創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge ▲
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| 2009-08-31 23:56
| 日報抄
2009年 08月 25日
最終日に見せ場は待っていた。ベルリンで行われた陸上の世界選手権。女子マラソンで銀、男子やり投げで銅と、日本勢はメダルを2個獲得した。やり投げでのメダルは五輪、世界選手権を通して初というから、最後の最後に花を咲かせた
大会を振り返るとハイライトはジャマイカのボルト選手の活躍だろう。100メートルと200メートルを世界新で制し、昨年の北京五輪に続いて「世界最速」を見せつけた レースを100分の1秒単位で争うようになったのは電気計時が誕生してからだ。最初に本格的に導入されたのは1964年の東京五輪だった。日本の大手時計メーカーが開発したスタートからゴールまで全自動で計測するシステムが、手動計時と併用された その後、システムが進化し、国際陸連が電気計時を公式計時として採用する。その歴史は「あなたの人生の残り時間は?」(織田一朗著、草思社)に詳しい 技術の進歩が、新しい記録の領域を生み出しているといえよう。ちなみにボルト選手の2種目の新記録は、更新幅がともに0秒11である。偶然の一致とはいえ、100分の1秒単位で同じとは驚きだ 忘れてならないのが、地元天満屋の中村友梨香選手だ。1万メートルで7位入賞を果たすなど大舞台での頑張りは、次へのステップになるだろう。 滴一滴 山陽新聞 2009年8月25日 創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge ▲
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| 2009-08-25 23:59
| 滴一滴
2009年 08月 25日
陸上競技のやり投げは古代オリンピックの時代から参加種目になっている。世界大百科事典(平凡社)によれば、第18回(前708年)から円盤投げなどとともに5種競技の1つに加えられた。握ったやりを、全身の筋肉を総動員して遠くに運ぶ。力強い動きは、どこか古代の戦士たちの姿とも重なる
やり投げはこれまで体格に勝る欧米の選手が上位を占めてきた。日本選手も五輪や世界選手権で、世界の壁に挑んできたが、今一歩のところで、はね返されてきた。その厚い壁を村上幸史選手(29)=スズキ=がついに崩した ベルリンの世界陸上・男子やり投げで3位に入り、日本に五輪、世界選手権を通じて、初のメダルをもたらした。快挙を心から祝いたい。ベルリンでは銅メダルが決まった後、人目につかない所で泣いていたそうだ 日本選手権10連覇の強者も世界では決勝進出の壁を1度も破れなかっただけに、過去の苦しかった日々が脳裏に浮かんだのかもしれない。高校時代から指導を続ける恩師も北京五輪を機に引退すると思っていたという しかし本人の視線の先には世界の舞台が見えていた。「あと一歩で世界と対等に戦える」と。現役続行の裏には日本のやり投げが世界に通用することを何としても示したいとの熱い思いがあったのだろう。予選で自己新を出し、決勝は2投目、こん身の一投で銅メダルをものにした かつて左すねを大けがした際も、あきらめず「日本で満足していては駄目」と自らに言い聞かせていた。満ち足りたと思った瞬間から衰退が始まるのは、どの世界も同じかもしれない。投てき界の宝は、銅メダルにも「満足」することなく、ロンドンを目標に走り出す。 大自在 静岡新聞 2009年8月25日 創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge ▲
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| 2009-08-25 23:59
| 大自在
2009年 08月 24日
「ハバロフスク市の一角に、儀礼的に配列された日本人の墓標には、いまなお、索引のための番号が付されたままである」
番号から埋葬された人の過去をうかうすべはない。名前とともに、消された人生。シベリア抑留から帰還した詩人の石原吉郎(1915~77年)は「人はシにおいて、ひとりひとりその名を呼ばれなければならない」と怒りを込めて書いている。(「望郷と海」より) モスクワのロシア国立軍事公文書館から、シベリアなど旧ソ連に抑留された日本人に関する新資料が見つかった。最大で76万人分。日本政府は抑留者を約56万人、シ者約5万3千人と推定しているが、実態は分かっていない 新資料の詳細調査で、番号だけだった亡き人に、ようやく姓名が戻ってくる。そうあってほしい。ただ、記録カードには日本語が分からないロシア人の係官が書いた、判読困難な名前もある 石原吉郎はロシア人の多い収容所に移されると、発音しにくい名前のため、いつしか「シガーラ(葉巻)」と呼ばれるようになる。名前も、日本人であるということも意味を失っていた。過酷な自然や労働、多くのシが、人を無関心にしていた 1953年12月、舞鶴港に着いた石原は軍務を解かれた。しかし石原を待ち受けたのは、冷たい祖国だった。シベリアの凍土に倒れ、帰らぬ人びとを、日本は忘れてはいけない。名前を取り戻す責任がある。 凡語 京都新聞 2009年8月22日 創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge ▲
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| 2009-08-24 23:19
| 凡語
2009年 08月 23日
「ユートピア」を著した英国のトーマス・モアは、反逆罪のかどで刑場の露と消えた。時の国王ヘンリー8世が、ローマ法王が離婚を認めなかったことに腹を立て、英国国教会を設立する。これを批判し、怒りを買った
後に良心に従ったとして聖人に列せられる。そして、この人の洗礼名も「トーマス・モア」だった。きょう、韓国のソウルで国葬が営まれる金大中(キムデジュン)元大統領である。生前、「行動する良心」を自任したのは、あつい信仰心の表れだろう 「私は5度、シ線をくぐってきた」の言葉が残る。最初は朝鮮戦争の動乱期、次は大統領候補となった1970年代の交通事故。東京での拉致事件では2度、シの恐怖を味わった。さらに光州事件の首謀者としてシ刑判決を受けた 不屈の闘志を支えるものは何か。問われて「歴史を信じること。歴史は決して、不義の側には立たない」と答えている。10代のころ、商業学校で野口尋六という日本人教師に「歴史に学び、考えながら生きることを学んだ」と、自叙伝に記す 大統領時代の「太陽政策」は北朝鮮のミサイル発射や核実験の強行を招いたとして、国民の強い批判にさらされる。だが常にこう言って、ひるまなかった。「歴史の評価を信じる」 今の時代と対峙(たいじ)しながら、歴史の流れに身を置く。政治家の厳しい生き方に触れる思いだ。トーマス・モアが聖人とされたのは、400年後のことだった。 正平調 神戸新聞 2009年8月23日 創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge ▲
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| 2009-08-23 23:59
| 正平調
2009年 08月 20日
お盆に夏の甲子園初勝利を挙げたら、一気に3回戦も圧倒、日本文理高が8強を決めた。学校創立の1984年の夏は、新潟南高の8強に沸いた。25年ぶりの快挙である。3年前のセンバツでも準々決勝に進んだ。春夏通算8回の出場でどちらも8強。強豪校に仲間入りしたといっていい
20安打で12得点、「強打の文理」の面目躍如だ。「これが新潟大会(準決勝まで)ならコールド勝ち。4強もいける」。浅はかにもぐんぐん鼻が高くなる。これも「野球後進県」といわれ続けたせいだろう。他県出身の皆さま、お許し願いたい 「コールド・ゲーム」を辞書で引いてみる。「野球で、降雨・日没、その他得点がかけ離れているなどの事情により、審判員が試合終了を宣告する試合」(広辞苑)とある 突然の雷雨や点差がつき過ぎると、試合の熱気も冷めてしまう。だから英語で「寒い」を意味する「cold」。そう思っていたら間違いだ。審判員の宣告などを指す「called」が正しい どちらも同じに聞こえるが、「寒い」の「コールド」は「風邪」も意味する。要警戒のコールドである新型インフルエンザで沖縄、神戸、名古屋で3人の犠牲者が出た。本格的な流行は秋以降と甘く見ていたら、ウイルスはもう身近に迫っている 日本文理高の次に登場した島根代表の立正大淞南高は、「新型」感染の選手を欠きながら逆転勝ちした。文理ナインだけでなく、応援団も含めて体調管理に十分気を付けてほしい。インフルエンザに「コールド・ゲーム」はないのだ。 日報抄 新潟日報 2009年8月20日 創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge ▲
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| 2009-08-20 23:56
| 日報抄
2009年 08月 19日
「(人類に)限界はないことの証明だ」。日本陸上競技連盟技術顧問の宮川千秋さん(東海大体育学部教授、沼津商高出身)は、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が樹立した驚異的な世界新記録を、そう受け止めていた
陸上世界選手権男子100メートル決勝で、ボルトは並み居る強豪を圧倒した。タイムは9秒58。1年前の北京五輪で自らマークした9秒69の世界記録を一気に0秒11更新し、人類初の9秒5台に突入してみせた 人はどこまで速く走れるか。スピードスケート男子500メートルの100メートル途中計時は、9秒3~4を記録する。宮川さんによれば、ボルトは「跳ねるのではなく、滑るように走っている」といい、スケートの途中計時に並ぶことは「不可能ではなくなった」。統計学の分野では9秒29という数値がはじき出されている 宮川さんは4月、ボルトのいるジャマイカ・キングストンを訪れ、練習をじっくり見た。今回の快挙は一生懸命練習した成果―との弁に、「われわれから見れば厳しいどころか緩い練習だった」と振り返る それでも、ボルトは他を寄せ付けない強さを身につけた。この現実を目の当たりにして、宮川さんは言う。「個性に応じたトレーニングの大切さを再認識した。個を生かすことを考えなければ」と。陸上界だけの課題だろうか 1968年、ジム・ハインズ(米国)が9秒95で走り、初めて10秒の壁を破った。以来、9秒台は延べ400回以上、記録されている。が、この中に日本選手の記録は見つからない。日本記録は10秒00。9秒台目前まで迫っているようで壁は分厚いが、「限界はない」との宮川さんの言葉を信じ、和製スプリンターの挑戦を見守りたい。 大自在 静岡新聞 2009年8月19日 創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge ▲
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| 2009-08-19 23:56
| 大自在
2009年 08月 18日
「たそがれ清兵衛」などの時代小説で知られる作家の藤沢周平さんは織田信長が嫌いだった。「信長ぎらい」と題するエッセーを書いている。
信長ブームが起きていた時期だ。ブームの背景には、世の中に閉塞(へいそく)感が漂い、信長の先見性や果敢な行動力を求める空気があるとされていた。藤沢さんはさもありなんとする一方で「まてよ」とあえて異を唱える。 時代に流されまいとする反骨精神が表に出る。1927年生まれの藤沢さんは、軍国少年だった。軍国主義に疑いを持たなかったが、敗戦とともに価値観が一変し、権力者に従順な集団の熱狂の恐ろしさに気付いたとされる。 政権選択を問う衆院選がきょう公示される。各党のマニフェスト(政権公約)を掲げた熱い戦いが繰り広げられる。有権者の歓心を買おうと、あの手この手の甘い政策もちりばめられている。うかつにのってはしっぺ返しを受けかねない。 藤沢さんは「信長ぎらい」で記す。「たとえ先行き不透明だろうと、人物払底だろうと、われわれは、民意を汲(く)むことにつとめ、無力な者を虐げたりしない、われわれよりは少し賢い政府、指導者の舵(かじ)取りで暮らしたいものである」。 賢い政府をつくるのは有権者の一票だ。マニフェストを吟味し、冷静な判断が問われる。有権者の責任は重い。 滴一滴 山陽新聞 2009年8月18日 創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge ▲
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| 2009-08-18 23:56
| 滴一滴
2009年 08月 16日
戦後政治の舞台の一つとなった洋館が東京都文京区の住宅街にある。鳩山一郎元首相の私邸だった鳩山会館だ。ここで、後に自民党となる自由党の結党が話し合われ、元首相が成し遂げた日ソ国交回復の下準備も行われた
今は記念館として一般公開されているが、孫の民主党代表由紀夫氏と、前総務相の邦夫氏も結婚前まで暮らした。最近も、兄が国民新党との関係修復の夜桜会を催せば、弟は総務相辞任後に自民党議員約30人を招待するなど話題を提供している 鳩山一郎は、自由党初代総裁として1946年の衆院選で勝利するが、首相指名を前に公職追放となり、後を託した吉田茂が首相に就く。鳩山の政界復帰後、党内は鳩山、吉田の両支持派に分かれ、激しい権力闘争が繰り広げられた 54年、鳩山は吉田政権の打倒を掲げて日本民主党を結成する。不人気の吉田内閣が総辞職した後、首相になる。会館には当時の首相任命書が展示されており、前任者の吉田元首相も署名している 政権を争った自由党と日本民主党は、55年の保守合同で自民党になる。そして半世紀を経た今、吉田の孫の麻生太郎首相と、鳩山の孫の由紀夫氏が政権交代を争点に、あさって公示される衆院選で対決する 攻守とも同じ構図で、孫同士が再び首相の座を争うことを、両雄はどう思っているのだろうか。訪れた鳩山会館でせみ時雨を聞きながら、無性に尋ねてみたくなった。 正平調 神戸新聞 2009年8月16日 創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge ▲
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| 2009-08-16 23:56
| 正平調
2009年 08月 15日
芥川龍之介の小説「蜘蛛(くも)の糸」。「まさにあれと同じ」体験を、考古学者の大塚初重さんは持つ。乗り込んだ海軍徴用船に敵の魚雷が命中、「もう駄目だ」と思ったとき、眼前にぶら下がるワイヤロープに気づいた
つかまった。が、ずり落ちそうになる。足に誰かがすがりついていた。何人だったか、思わずけり落とした。燃える船底に。「そう私は人をコロしたんです」。「昭和二十年夏、僕は兵士だった」(角川書店)に生々しい 皇国史観の反動で大塚さんは実証的な考古学にのめり込む。幾多のシを伴った日々は終戦を境に、命をかみしめる日々へと変わった。半面、終戦によって壮絶な運命へと追いやられた人々がいる 公開中のドキュメンタリー映画「嗚呼(ああ) 満蒙開拓団」に詳しい。日本は中国東北部の満州国に大量の移民を送り込んだ。しかし、「お国のため」に渡った人々は敗戦後、遺棄同然の扱いをされる 男性は軍に召集され、お年寄りと女性、子どもばかり。泣きやまぬわが子を手にかけた母親は数知れず、集団自決で命を散らした。その光景を証言した女性がこう問いかける。「薬害の話もそう、誰も責任をとらない」 今もなお、無責任な集団主義がこの社会に巣くっている。消しがたい記憶をつっかい棒のようにして、社会と向き合ってきたであろう人の言葉は重い。今年もじっくりと聞きたい。また「8月15日」が巡ってきた。 凡語 京都新聞 2009年8月15日 創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge ▲
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| 2009-08-15 23:56
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